ニクソン大統領と会見
文鮮明師は、冷戦の真っただ中、胸を痛め、世界を共産主義から守ることに心を砕いていた。
この当時、世界赤化を狙う共産主義国は、北ベトナムを足掛かりとして、東南アジアに手を伸ばそうとしていた。
世界共産化に歯止めをかけることができる中心国家はアメリカであり、それができる可能性がある大統領は、その当時、ニクソン大統領しかいないと見た文鮮明師は、ニクソン大統領との会見をすることとなった。
1973年 ニクソン大統領はウォーターゲート事件の疑惑で、国民からの批判を受け、辞任に追い込まれようとしていた。
文鮮明師は、アメリカ国民に対してニクソン大統領のの罪を許し、団結するよう呼びかけた。
文鮮明師は、自己の利益を度外視し、全米50州の主要日刊紙全てに1ページ全面を使った意見広告を掲載した。
▼1973年11月30日「ニューヨークタイムズ」に掲載された「許せ 愛せ 団結せよ」の意見広告
その後、文鮮明師はニクソン大統領と単独会見を行った。
文師はニクソン大統領に 国民の前で 今までの罪を 涙を流して謝罪し、そして、大統領を辞任しないよう訴えた。
それは、ニクソン大統領のためではなく、アメリカを共産主義から守るためでもあり、世界を共産主義から守るためであった。
しかし、ニクソン大統領は文師の進言はきかず、1974年8月8日、大統領 辞任を発表した。
▼1974年2月1日ニクソン大統領と文鮮明師との会見